京都の風葬地をまわってきた話

突然なんですが、先日京都へ行ってきました。
京都って、いいですよね……

 

私はすごく歴史好きなので、千年の都に燃えないわけがない。ということで今回もかなりマニアックな旅をしてきました。正直こんなこと誰も興味はないと思うんですが、せっかくなので爪痕を残しておきたいと思います。

 

今回の旅のメインは、平安時代の風葬地をまわること。

 

は?って思いますよね。
私もそう思うので、あまり人には言えない趣味です。

 

平安時代の最初の頃、一部の貴族は死者をしっかり火葬して弔っていたんですが、一般人にとってはそんなお金はありませんでした。だから死者は風葬をしていました。

 

この風葬というのは、決められた場所に死者を運んで、そのまま野ざらしにすることなんですけど、今じゃ考えられないことが普通に行われていました。正直めっちゃこわい。ものすごい数の遺体の山が築かれていたらしいので、いやほんと、怖すぎるなって思います。

 

京都には有名な風葬地が三つあって、それが「鳥辺野(とりべの)」「化野(あだしの)」「蓮台野(れんだいの)」です。

 

この中でたぶん一番メジャーな場所なのが、たぶん鳥辺野です。鳥に食べてもらっていた野原という意味で、鳥辺野という地名が使われています。

 

この鳥辺野と呼ばれる地域が、今の「清水寺」の下あたりから、「五条大橋」あたりまでの地域なんですが、このあたりは「あの世とこの世の境目」と思われていました。それがこの「六道の辻」です。冥界への入り口だと思われていた場所です。

 

私だけかもしれないんですけど、ここが冥界の入り口……!?と興奮が抑えられません。

 

清水寺へと向かう大通りから、ひとつ路地を入ったところです。ここに入ってくると、ほぼ観光客はいません。しめしめ……と思うところです。ここより先は遺体の山が築かれていたらしいんですが、外灯も何もない時代にここを通ったら、それはもう異様な雰囲気だったでしょうね。そりゃ魑魅魍魎の話も信じてしまうなあと納得してしまいます。

 

そしてここには、六道珍皇寺というお寺があります。

 

古い古い碑があるところ。

 

あの世への入り口と言われるお寺です。

そしてここには、閻魔大王に仕えていたと言われる歌人、小野篁(おののたかむら)の伝説の舞台でもあります。

 

小野篁は朝廷に仕える役人でありながら、夜な夜な井戸から冥界まで降りていったと言われる人です。この冥界につながる井戸こそが、ここにあるんです。

 

通常は近寄ることができないので、少し離れた場所から覗き見ることしかできないんですが、「近寄ってはダメ」と言われていること自体、正直言って燃えるポイントなんですよね。

 

写真でわかる通り、扉についた小さな窓から見るようになっています。

人がいないので見放題です!

 

右奥に小さく見えるのが、冥界へとつながる井戸です。

わー!わーーー!わーーーーー!

 

 

このあたりは「あの世とこの世の境目」らしく、それを感じられるお寺や伝承がたくさんあります。

 

人が死んで、腐って、骨になって、そして土に還る。その様子をリアルに図解したと言われる「壇林皇后九想図」がある西福寺や、死者を弔い歩き、口から南無阿弥陀仏を出したとも言われる空也上人の像がある六波羅蜜寺。少しマイナーではあるんですが、絶対に…絶対に面白いです……。

 

この六波羅蜜寺の宝物館に、教科書でもおなじみ空也上人像があるんですが……、すごい、めちゃくちゃにかっこよかったです。見たい方はぐぐってくださいね。そしてこの寺は隠れ念仏を行っていたお寺としても有名。

 

こんなかんじで、少しマニアックではあるんですが、めちゃくちゃに楽しい旅をしてきました。

もうほんと、私は楽しいんですが、なかなか同じように面白がってくれる方がいないので、同じように面白がってくれる方がいればご一報ください。

 

ではまた!