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2017年もお世話になりました!

今日は2017年の大晦日です。
あっという間に1年が終わってしまって慌てています。

 

さて今年も、2017年に全米で最もGoogleで検索されたトピックス“Year in Search”が発表されました。

こうしてみると、今年もめちゃくちゃいろんなことがありましたね。そういえばこんなことあった、というものばかりです。日本のニュースばかり見ているので、世界で何が起きているのかいまいち把握できていないので、これはまずい……とちょっと反省しました。来年はもう少し勉強します。

 

私の2017年のニュースといえば、やはりノーベル文学賞にカズロ・イシグロが選ばれたことですかね。カズロ・イシグロは大好きな作家なので、普通に嬉しいです。あとは大好きなスターウォーズのエピソード8が公開されたことです。すごいおもしろかった。あと100回見たい。

 

来年は冬季オリンピックがあるオリンピックイヤーなので、それもすっごく楽しみですね。

 

というわけで、2017年のエムトークもこれで終わりになります。

今年は風俗業を支える方々にたくさんインタビューをさせていただいて、とても楽しかったです。また来年も引き続き、いろいろな方にインタビューをさせていただけたらなと思っています。

 

ではまた来年。

 

よいお年を!

宇都宮が百人一首のまちと呼ばれる理由

先日、栃木県の小山が「開運のまち」であることを書いたんですが、それ以来、栃木の歴史を調べることに完全にはまってしまいました。地元の歴史ってめちゃくちゃ面白いですね……!

 

ということで今回は、栃木の歴史シリーズとして、宇都宮がなぜ「百人一首のまち」と呼ばれているのかを書いておきたいと思います。

 

 

まず、宇都宮には平安時代に建てられたお城がありました。もとは関東七名城のひとつに数えられ、難攻不落とも言われた凄いやつです。この宇都宮城には、宇都宮一族が住んでいました。このお城は、平安時代に摂政として京を支配した藤原一族の流れを汲んでいて、宇都宮氏というのは、藤原一族でもあります。

 

平安時代の末期、宇都宮城の5代目当主であった宇都宮頼綱(よりつな)は、武士でありながら歌人でもありました。しかし時代は平安末期です。政治のごたごたに巻き込まれ、謀反の疑いをかけられ、頼綱は京都の山に出家することになってしまいました。

 

そうして京都で、朝廷に仕える歌人、藤原定家(ていか)と仲良くなり、彼にあるお願いをします。それが「自分の別荘にかっこいい和歌を飾りたい」というものでした。

 

平安末期というと、源平の戦いが起こっている時代です。当時、藤原定家は歌を詠むのにも政治のしがらみを気にしなくてはならず、自由に歌を選べない状況でした。そんな時に「友人の家を飾る」目的の和歌なら、政治も人の目も気にせず、好きなように素晴らしい歌を選べると喜んで引き受けました。

 

百人の歌人から、一首ずつ選ぶ。

そうして出来上がったのが「小倉百人一首」です。

本当は友人である宇都宮頼綱のためだけに選んだ歌ですが、今ではその素晴らしさに、小倉百人一首そのものが和歌の代名詞にもなっています。

 

(出典/flickr)

 

つまり、宇都宮城の当主であった宇都宮頼綱がいなければ、百人一首が生まれることもなかった、ということですね!そういったわけで、宇都宮は「百人一首のまち」と呼ばれることになりました。

 

ところで藤原定家は「ていか」とも「さだいえ」とも呼ぶんですが、「ていか」が主流です。「ていか」という名前、めちゃくちゃかっこいいですよね?

 

百人一首の中には、この藤原定家の歌もちゃっかり入っています。97番歌の権中納言定家が、藤原定家です。

 

「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ」

 

意味:どれだけ待っても来ない人を待ち続けるのは、松帆の浦の夕凪のころに焼かれる藻塩のように、わが身も恋い焦がれて苦しいものだ。

 

 

と、こんなふうに宇都宮は百人一首とはなかなか深い関係がある街なんです。すごくすごく面白い話だな、と私は思ったんですが、どうでしょうか?

栃木県の小山市・開運のまちを歩いてみる

先日、栃木県の方にお会いした時、栃木県小山市が「開運のまち」と呼ばれていることも、その理由を知らなかったこともあり、なるほどあまりに地味だから知られていないんだな! と感じました。

 

というわけで今回は、実は歴史的に見ても貴重すぎる転換の場となった「開運のまち」小山について、歴女的な観点から書いておきたいと思います。

 

今から400年前の1600年の夏、徳川家康は上杉景勝を討伐するために福島県の会津に向かう途中、現在の栃木県小山市に本陣を起きました。この時、石田三成が挙兵したと報告が入り、急遽、徳川家康はこの場所で軍議を開きました。内容は「このまま会津まで行き、上杉を倒すか」それとも「道を引き返して石田三成を倒すか」という内容です。

 

徳川家康、徳川秀忠、本田忠勝、井伊直政、福島正則などなど、誰でも一度は名前を聞いたことがあるだろう当時の武将が小山に集まり、さてどうしようか、と会議をしたというわけです。

 

この時、ほとんどの武将が大阪に妻子を残している状態なので、一言でいえばかなりピンチという状況です。豊臣か、徳川か、という日本をふたつに分ける勢力のうち、どちらを支持するのか、という究極の選択がこの時、この小山で行われたんです。これが大河ドラマでも必ず登場する「小山評定」です。

 

(小山評定跡・小山市役所にあります)

 

結果、徳川家康率いる東軍は、石田三成を討伐するため道を引き返し、西へと戻り、関ヶ原へと足を進めました。そうして9月、東軍、西軍あわせて20万という大軍で、天下分け目の戦いが行われたのです。

 

徳川家康が江戸幕府を開き、300年もの太平の時代を築いた最初のきっかけは、つまり小山からはじまった、というわけです。なかなか歴史を感じる事件ではないでしょうか? とはいえ、東軍からみれば「開運のまち」ですが、大敗した西軍にとっては悲運のまちにもなるのかもしれません。

 

と、そういったこともあり、小山市は歴史的にもおもしろい街なんです。

 

その後、徳川家康は日光東照宮に祀られました。そうして江戸時代になると街道が整備されはじめ、多くの将軍が東照宮へと足を運ぶようになりました。その際、小山評定に習って小山に休憩所を設けました。それが「小山御殿」と呼ばれる場所です。

 

御殿そのものは現在まで残っていないんですが、今では広い公園になっています。ぱっと見ると何てことのない広場なんですが、土が高く盛られ、あきらかに周りの土地よりも高く造られているところに当時の面影を感じることができます。

 

ちなみに「小山」という地名は、平安時代からずっと小山です。
そして小山を400年という長きにわたって統治していたのが「小山一族」なんですが、これは日本で一番古いクーデター「大化の改新」で活躍した中臣鎌足(なかとみのかまたり)の子孫です。

 

中臣鎌足はのちに「藤原」の名前をもらい、藤原家はその後、長く長く平安時代を摂政として支配しました。

これ、めちゃくちゃロマンを感じませんか? 小山市にはこの藤原の血を引いた方が、それを知らずに今も生きているんでしょうね。

 

このあたりの歴史を語ると200000文字あっても足りないので、いろいろと省きますが、とにかく地元の歴史を知るのって面白いです。

足利フラワーパークのイルミネーションに行く!

先日、日本三大イルミネーションと言われている(らしい)足利フラワーパークに、ついに行ってきました。

 

全国イルミネーションランキング二年連続一位。さらに400万球という圧倒的な数を誇るイルミネーションが足利にあるということで、地元の人間としては一度くらいは足を運んでみようと思ったわけです。

 

ということで、先に感想から書いておきたいと思います。

 

フラワーパーク、思っていた以上にすごい。

 

足利フラワーパークについては、もう散々話題になり、嫌というほどに感想を見てきたと思います。今さら私が言えることなんて一つもないのでは? と思っているので、細かい感想ははぶきますね。

 

 

まずここは「きれい」「感動した……」と涙を流す系ではなく、「なんだこれすごい!」 という驚愕系のイルミネーションであることは間違いありません。

 

足利フワラーパークは藤の花が有名なんですが、上記の写真のようにLEDのひとつひとつが藤の花の形をしています。細かいお仕事ですよね。

 

水の上にピラミッドがあったり

 

花畑の先に大きなクリスマスツリーがあったり(しかも中に入れます)

 

LEDのバラ園があったり

 

イルミネーションの汽車があったり

 

地球と、それを臨む船があったりと、とにかく園内が広くて広くて、歩き疲れるほどです。

 

何よりもフラワーパークの夜は寒く、その日は気温が3度しかありませんでした。正直めちゃくちゃに寒くて、イルミネーションどころではなかったんですが、それでも園内を1時間歩き回ってしまうくらいに、やっぱり面白い場所でした。

 

しかも入場料は大人900円!やすい!

寒くて寒くて長居はできないうえ、とにかく人が多く、ゆっくりするという雰囲気ではなかったんですが、イルミネーションはやっぱりすごかったです。ロマンチックというよりも、メルヘンという雰囲気なので、恋人同士というよりも、家族連れや友達グループのが楽しめるのでは? と個人的には思いました。

 

注意としては、とにかく寒いので防寒をすること。防寒が不十分だと命にかかわります!

年収200万の母子家庭で貯金をしたBさんの話

ひとりきりで子供を育てているお母さんは、いろいろな苦労があると思います。子育てや仕事、これから先の生活のことなど、不安は多いですよね。中でもお金のことでは、常に頭を悩まされている方がほとんどだと思います。

 

全国のシングルマザーの平均年収は、180万と言われています。そのほとんどがパート、アルバイトの雇用形態で仕事をしていて、児童扶養手当などを含めても年収は220万前後と言われています。一般的な家庭と比べると、生活が苦しいことは明白ですよね。

 

そこで今回、シングルマザーで子供を育てているBさんから話を聞いて、どのような給与形態なのか、それでどうやって生活をしているのかまとめさせてもらいました。

 

 

【Bさん(30代前半シングルマザー)】

子供 ひとり

事務員 給与14万
年収 ボーナスを合わせて180万

児童手当 1万円
児童扶養手当 29,100円(所得によって違いあり。全部支給の方は42,330円)

 

月によって若干の変動はありますが、手当を含めて1ヶ月の収入は17万ほど。

 

そこから毎月かかっていた費用が、下記のようになります。

 

家賃 50,000
光熱費 12,000
携帯代 8,500
食費 25,000
生命保険料 3,000(掛け捨て)
ガソリン代 10,000

 

日用品 10,000
交際費、レジャー費 10,000
美容室、化粧品、洋服代 15,000

 

支出合計 143,500円

 

 

こうやって計算してみると、かなりぎりぎりです。

ここに臨時の支出があって、車の車検(2年に1回)や、車の保険(1年に1回)、友達の結婚式、たまに美容室でカラーリング、冬物のコート、子供はすぐに大きくなるので下着や洋服などの買い替え、それらの出費を考えると月の平均支出はもっともっと高くなると思います。

 

 

こんなふうにBさんの経験では 「生活をする」 ことで精一杯で、貯金をすることは難しいし、たくさんのことを我慢しなければいけないと言っていました。もちろん我慢をするのは自分だけではなく、子供にも我慢してもらわなければいけません。

 

子供が大きくなったら、まわりの子供たちと同じようにゲームを欲しがるかもしれませんし、携帯が必要になりますし、毎月のおこづかいだって必要になりますよね。塾に通いたいかもしれませんし、やりたい習い事も見つかるかもしれません。大学への進学だって考えると思います。大学へ進学する場合、たとえ国立の大学に進んだとしても500万はかかってしまいます。

 

実はこのBさんは、現在この求人サイトで見つけたデリヘル店で、月に数回働いています。

 

そしてここで稼いだお金のほぼ全てを貯金に当てていると聞きました。働き出して1年ほどですが、すでになかなかの額が溜まったと話してくれました。貯金はもちろんのことですが、貯金ができることで、心に余裕を持つことができるようになったのが一番良かったことと教えてくれました。

 

Bさんだけではなく、実はデリヘル店では、貯金をするために月に数回働くシングルマザーがとっても多いんです。

 

 

年収200万でも、節約すれば貯金もできるかもしれません。そういった指南書もたくさんありますよね。でも、質素に堅実に、欲しいものを我慢して生活をしていくより、たくさんお金を稼いで貯金をして、心に余裕を持ちたい方もたくさんいると思います。

 

うまく家計をやりくりするのも良いかもしれませんが、もっとたくさん稼ぎたいと考えているシングルマザーをデリヘル店のスタッフは歓迎しています。もちろんお店によって、できるだけのバックアップもします。週に1回でも働けるので、このBさんのような働き方も、選択肢のひとつとして考えてみるのも良いのではないかと思います。

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